瀕死のカナリア

汚染された空気の中、窒息しそうなカナリアの、切れ切れの歌が聞こえる。

妄想だらけのあんたへ

「まだ愛してる」なんて囁けば

あたしの気持ちがどうにかなるなんて

とんでもない勘違いよ

 

さよならしたのはいつだったかしら

あたしはもうそんなことも覚えていないのに

あんたはまだ昔に戻れると思ってるのね

昔の良かったことだけを拾い集めて

あれほどあたしを傷つけたことも

あれほど周りに迷惑をかけたことも

何もかも悪いことはどっかに置いてきて

「まだ愛してる」ですって

 

あんたはいつもそう

都合の悪いことは

みんななかったことにして

妄想の過去で甘い未来を描くばかり

 

自分のこれまでとちゃんと向かい合うこともせず

「昔は良かった」という男が

うじゃうじゃそこらに溢れてる

そうね みんなあんたと同じね

 

反省のない男

自分を見つめようとしない男

都合の良い妄想だけで生きている男

世の中を悪くしているのは

そんな男たち

ほら、もう戦争の匂いが漂っている

どこに過去の反省があるの

 

そんなバカな男たちに振り回されるのは願い下げ

男心をくすぐって甘い妄想を描かせるだけの

嘘に飾られた演歌じゃあるまいし

女は過去をでっちあげたりしないのよ

もっといい未来を作り出すために

過去の過ちをしっかりと見つめ

絶対に繰り返さない

 

そうよ

あたしはもう新しい命を生きているの

あんたなんかにつきまとわれたくないの

 

バイバイ

早く大人になりなさい

二度と昔を呼び戻さないで

二度と過去を繰り返さないで

今からでも遅くないわ

妄想の美しい過去を捨てなさい

過去の自分を洗いざらい見つめて

徹底的に反省して

跪いて泣きなさい

 街から遠く外れた森に、一つの沼があった。濃縮された恨み色の淀んだ水は、風の日にも波立つことはなかった。ただ、底に棲む何かの吐息かとも思わせる濁った泡が時折浮かぶのだった。

「太古の昔からたくさんの人間がここに引き込まれ、亡骸すらも上がらなかった」

と、古老は人々に語った。

「だからこの沼には近づいてはならない。この沼は邪悪なものの棲家なのだ。」

と。

 人々は沼の周囲に高い堤を築き、そこへ続く水路を暗渠とした。また、周囲の森林遷移が進むに任せたので、深い森が沼を隠した。

 

 街で暮らす人々は沼のことを意識しないでいる事ができた。

 だが、沼に続く水路は街の下水でもあった。沼には人々の暮らしから出てくる汚水だけではなく、人々の尽きせぬ欲望や果たせぬ不満、嫉妬、猜疑、恐怖といった心の澱まで、ありとあらゆるものが流れ込み、湛えられ、腐敗していったのだった。

 

 沼は次第にその暗い水を増やし、怨念の水は、ある日ついにその縁を越えた。

 森を浸し終え、ゆるゆると暗渠を逆流し、暗い水は街に現れた。最初それは濃密な湿気となって街を満たした。人々はその空気を吸い、沼の悪意を自らの中に取り込んだ。

 沼の水は小さな水溜りにもなって、街のあちこちに姿を見せた。最初は水の出現に驚いた人々も、そのうちに慣れてしまった。それほど緩やかに、全く意識できないほどゆっくりと、水が現れ、増えていったのだった。

 不思議なことに、水は澄んでいるように見えた。あの禍々しい沼からのものとは誰も気がつかなかった。向こう見ずで考えのない若者たちが、低地にできて深くなった水溜りで泳いだ。大人たちも子供が浅い水で遊ぶのを、微笑ましく見守り、一緒に水に浸かったりもした。年寄りたちまでが、水の恐怖を忘れてしまっていた。

 

 水は次第に増えていき、街をほとんど浸してしまったが、人々はそれにすらも慣れていった。

 そして、すでに自分たちが元の人間の姿をしていないことすらも、無感動に受け入れるのだった。

 いつのまにか、人々は精神の中に憎しみと怒りの沼を作り上げてしまっていた。

 憎しみや怒りは、最初はそれを持たない人々に向かった。まだ元の人間の姿を残している人は、形を変えてしまった人々に殺戮された。お終いには、形を変えてしまった人々同士も、憎悪と嫌悪にかられて殺しあった。

 街からは全ての人が消えてしまった

 

 このようにして、沼は街を支配し終えた。

 満たしてしまった廃墟に、初めて水がざわざわと波立った。

 それはまるで、沼が笑っているかのようだった

瀕死のカナリア

ブログタイトルがなぜ「瀕死のカナリア」なのか

 いま、私たちの周囲には、何だか悪い空気が少しずつ増えてきているようです。

「まだこの程度なら直接自分には関わってきていないから、ことを荒立てずに様子を見よう。」

と、思っておられる方も多いようです。

 でも、人間に限らず全ての動物は、『徐々に環境に順応させられていけば、命に関わる事態になってもそこから逃れることはできなくなる』のです。「アイヒマン・ショック(ミルグラム実験)」や、「ゆで蛙実験」など、そのことを証明する科学的な裏付けはたくさんあります。

 大切なことは、

たとえ自分に直接関係がない(と思われる)ことであっても、ほんの少しの環境の悪化に対しても、敏感に反応すること。

ではないでしょうか?

 むかし、鉱山で働く人たちは、一羽のカナリアを鳥かごに入れて坑道へと降りて行ったそうです。カナリアは、人間よりも先に坑道の空気の異変を感じ取り、死んで行きます。カナリアが鳴いているうちは安全だけど、鳴かなくなったら即座に坑道から出なければなりません。つまり、カナリアは自分を取り巻く環境が安全であるかどうかを測る、生きたモニターだったわけです。

 私はそんな意味で、この世界を鉱山の穴の中と見立て、そこにおかれた一羽のカナリアであろうと思います。

 元気にさえずっているカナリアではありません。瀕死のカナリアです。それほどに、この世の中の「空気」は悪くなっています。

 私の「瀕死のさえずり」で、一人でもこの空気の悪化に気がついてくだされば幸いです。