瀕死のカナリア
ブログタイトルがなぜ「瀕死のカナリア」なのか
いま、私たちの周囲には、何だか悪い空気が少しずつ増えてきているようです。
「まだこの程度なら直接自分には関わってきていないから、ことを荒立てずに様子を見よう。」
と、思っておられる方も多いようです。
でも、人間に限らず全ての動物は、『徐々に環境に順応させられていけば、命に関わる事態になってもそこから逃れることはできなくなる』のです。「アイヒマン・ショック(ミルグラム実験)」や、「ゆで蛙実験」など、そのことを証明する科学的な裏付けはたくさんあります。
大切なことは、
たとえ自分に直接関係がない(と思われる)ことであっても、ほんの少しの環境の悪化に対しても、敏感に反応すること。
ではないでしょうか?
むかし、鉱山で働く人たちは、一羽のカナリアを鳥かごに入れて坑道へと降りて行ったそうです。カナリアは、人間よりも先に坑道の空気の異変を感じ取り、死んで行きます。カナリアが鳴いているうちは安全だけど、鳴かなくなったら即座に坑道から出なければなりません。つまり、カナリアは自分を取り巻く環境が安全であるかどうかを測る、生きたモニターだったわけです。
私はそんな意味で、この世界を鉱山の穴の中と見立て、そこにおかれた一羽のカナリアであろうと思います。
元気にさえずっているカナリアではありません。瀕死のカナリアです。それほどに、この世の中の「空気」は悪くなっています。
私の「瀕死のさえずり」で、一人でもこの空気の悪化に気がついてくだされば幸いです。